大阪高等裁判所 昭和59年(う)1443号 判決 1985年4月10日
控訴人 被告人
被告人 少年N
弁護人 藤原達雄
検察官 沖本亥三男
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人藤原達雄作成の控訴趣意書及び「控訴趣意の一部訂正及び補充書」と題する書面各記載のとおりであるから、これらを引用する。
一 控訴趣意第一(事実誤認の主張)について
論旨は、原判決は、被告人が普通乗用自動車を運転して、最高速度を時速三〇キロメートルと指定された原判示道路を進行中、「道路左(西)側の警察官派出所に注意を奪われ同派出所を脇見しながら時速約七〇キロメートルの高速度で進行した過失」により、本件人身事故を惹起した旨の事実を認定しているが、1被告人は、派出所に注意を奪われたこともなく、脇見も一瞬のものにすぎないばかりでなく、2そもそも、本件派出所付近から被害者を発見することは不可能なのであるから、右地点における脇見は、本件事故とは因果関係がないというべきであり、3しかも、被告人車の当時の速度は、時速約六〇キロメートルにすぎなかつたのであるから、原判決は、以上の三点において事実を誤認したものである、というのである。
そこで、検討するのに、原判決は、「罪となるべき事実」第一として、被告人が、昭和五九年二月一〇日午後七時二五分ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、大阪府南河内郡美原町大保一四番地の六先付近の南北道路(中央線が設けられた最高速度時速三〇キロメートルの道路)を北進するにあたり、「最高速度を遵守するはもとより、絶えず前方左右を注視して進路の安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務」に違反し、「道路左(西側)の警察官派出所に注意を奪われ同派出所を脇見しながら時速約七〇キロメートルの高速度で進行した過失」により、折から、自車進路前方を東から西に向つて横断していた中辻レイ子(当時三九歳)を約一六・七メートルに迫つてようやく発見し、急制動の措置をとるとともに左に転把したが及ばず、自車右前部を同女に衝突させてはね飛ばし、その場において、同女を頸椎及び頭蓋底骨折により死亡させたとの事実を認定しているのであり、これによれば、原判決は、高速運転の点と並んで前方注視義務違反の点をも、事故の結果と因果関係のある被告人の過失と認めていることが明らかである。
ところで、原判決挙示の関係証拠によれば、原判示事実中、被告人が、普通乗用自動車を運転して、原判示道路を制限速度をはるかに超える高速で北進中、原判示被害者が東から西に向つて進路前方を小走りに横断しているのを、約一六・七メートルに迫つてはじめて発見し、原判示の経緯によつて同女を死亡させたとの部分は、きわめて明らかであり、また、右道路の幅員が約六・二メートルと狭く、右事故現場付近には衝突現場の約五〇メートル手前の道路左側にある警察官派出所等のほかにはさしたる光源がないため、走行車両の運転者としては、歩行者の発見をほぼ自車の前照燈の光のみに頼らざるをえない状況であつたのに、当時被告人は、前照燈を下向きのままセンターラインをまたぐようにして、前記のような高速で進行中であつたこと、被告人、車の前照燈の照射距離は、上向きの場合には約八三・六メートルあるが、下向きのときは約三三・五メートルにすぎないこと、被害者は、本件道路を近所の主婦(小吹彰子)と連れ立つて、被告人車の進路前方を右方から左方へ小走りで斜めに横断しようとして、道路中央線のやや手前に達した際、被告人車に衝突されたことなどの諸点も、証拠上容易にこれを認めることができる。所論も、本件事故に関する右のような基本的事実関係自体はこれを前提として、被告人の前方不注視の原因・継続時間(所論1)、その事故との因果関係(所論2)及び高速運転の程度(所論3)を争うものと解される。
そこで、まず、所論3について検討すると、被告人は、捜査段階においては、自車の当時の速度が時速約七〇キロメートルであつたことを、ほぼ一貫して認めており(所論指摘の被告人の自首調書の記載も、「時速六〇キロメートル以上」というものであつて、必ずしも、その後の供述調書の記載と矛盾するものではない。)、右供述は、小吹彰子の事故の目撃状況に関する供述、現場に残されたスリツプ痕の状況、被告人車が高速を出し易いように改造されたものであり、被告人自身も、スピードを出しすぎる癖があることを認めていること、及び原審第一回公判期日における意見陳述の際、被告人が速度の点をも含め公訴事実を全面的に認めていることなどに照らし、優に措信することができる。所論援用の被告人の原審第二回及び第三回公判における供述は、自車の速度を時速約五〇キロメートルとしたり同六〇キロメートルとしたりするもので、一貫性を欠き、前掲各証拠によつて裏付けられた被告人の捜査段階の供述の証明力を揺るがすものではない。所論は、理由がない。
次に、所論1について考えるのに、被告人が、当時高速運転中であつたため、道路左側の警察官派出所内にいる警察官に見とがめられるのではないかと心配で、右派出所の方に注意を奪われ、前方注視を欠いたことがあつたことは、被告人が捜査段階において一貫して認めているところであり、また、被告人車の前照燈の照射距離は下向きの場合でも約三三・五メートルあるのに、被告人が現実には被害者を約一六・七メートルに迫るまでこれを発見することができなかつた点からみても、被告人が、原認定のような理由により、本件事故の直前に若干の時間前方注視を欠いて進行していたことがあつたことは、証拠上明らかであるといわなければならない。なお、所論は、被告人の脇見が一瞬のものであつたと主張するが、原判決は、被告人の脇見の継続時間については何ら判示するところがないので、所論は、原判決の認定しない事実を前提としてこれを論難するものであつて、まずこの点で失当であるのみならず、被告人の脇見が、被告人の捜査官に対する各供述調書の記載にあるように、二、三秒も継続したかどうかはさておき、所論のいうようなごく一瞬のものではなく、少なくとも若干の時間継続したものと認められることは前記のとおりであるから、右所論は、いずれにしても採用に由なきものである。
最後に、所論2について考えるのに、本件において、被告人が、夜間、照明設備のない本件道路を、前照燈を下向きにしたまま、時速約七〇キロメートルの高速で、しかも前方注視義務を尽くさず進行し、自車前方を右方から左方に向かつて小走りに斜め横断しようとした被害者を約一六・七メートル手前で発見して、急制動するとともに左に転把したが間に合わず、自車を同女に衝突させて死亡させたこと自体は、前記のとおり、証拠上きわめて明らかなところである。ところで、前記のような本件道路の明暗状況を前提にすると、本件事故現場付近を時速約七〇キロメートルという高速で走行中の車内から、被告人が、自車の前照燈の照射距離の範囲外の歩行者を発見することは、不可能もしくは著しく困難であつたと認められ(なお、司法警察員作成の昭和五九年二月二七日付実況見分調書には、衝突地点に被害者の着衣の色と同じベージユ色のジヤンパーを着た警察官を立たせたところ、約六六・六メートル離れた前照燈下向きの被告人車からこれを視認することができた旨の記載があるが、右は、被告人車を停止させたうえで、前方の人物を視認することができるかどうかを意識的に実験した結果を記載したものであつて、高速で走行中の自動車の運転者にとつても、前照燈の照射距離の範囲外の人物を視認することが困難でなかつたことを立証する証拠としては、必ずしも適切なものではない。)、また、時速約七〇キロメートルの自動車の乾燥アスフアルト道路における広義の制動距離は、一般に四〇メートル前後とされていることなどからすると、本件において、かりに被告人が事故直前に前方注視義務を十分尽くし、自車の前照燈の照射距離(約三三・五メートル)内に被害者が入るや否や直ちにこれを発見して急制動の措置をとつたとしても、被害者との衝突自体はこれを回避しえなかつたと考えられるのであり、この点を考慮すれば、本件事故と因果関係のある被告人の過失は、高速運転の点のみであつて、前方注視義務違反の点は、事故との因果関係を否定されるべきであるとする所論の主張にも、一理ないとはいえない。しかしながら、関係証拠によれば、被告人は、被害者を約一六・七メートル前方に発見して直ちに急制動の措置をとつたが、現実に制動の効果が生ずるまでに被告人車は約一五・七メートル進行し、ほとんどノーブレーキの状態で被害者と衝突したことが明らかであるところ、もし、被告人が、前方約三三・五メートルの地点に被害者を発見して直ちに急制動の措置をとつたとすれば、被告人車は、現実に制動のかかつた状態で約一七・八メートル進行したのちに被害者に衝突した筈であり、その間に生ずべき急激な減速及びその結果としての大幅な衝撃緩和を考慮すると、被害の結果は現実のそれより軽いものとなり、少なくとも、被害者の死(とくに事故現場における即死)という最悪の事態を回避することができた蓋然性の存在は、これを否定することができない。そして、右のように、前方注視を欠いた高速運転中に惹起した歩行者との衝突事故につき、運転者が前方注視義務を尽くしていても衝突事故自体はこれを回避することができなかつたと認められる場合であつても、運転者が前方注視義務を尽くし歩行者をその発見可能地点で直ちに発見して急制動の措置をとつていたとすれば、衝突の衝撃が大幅に緩和され被害の結果が現実のそれより軽いものになる蓋然性があつたと考えられるときは、高速運転と前方注視義務違反の点は、いずれも、生じた結果に対し因果関係を有する運転者の落度ある態度として、刑法上の過失を構成するというべきである。所論は、結局、採用することができない。
以上のとおりであつて、原判決に所論の事実誤認があるとは認められず、論旨は、理由がない。
二 控訴趣意第二(量刑不当の主張)について
論旨は、量刑不当を主張し、本件については刑の執行を猶予されたい、というのである。
所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するのに、本件は、普通乗用自動車を運転中の被告人が、幅員が約六・二メートルと狭く、かつ、照明設備がなく暗い原判示道路の中央を、前照燈を下向きにしたまま、制限速度の二倍を超える時速約七〇キロメートルという高速で、しかも十分な前方注視もしないで進行した過失により、進路前方を右方から左方へ小走りに斜めに横断しようとした当時三九歳の家庭の主婦に自車を衝突させてはね飛ばし、同所において同女を死亡させながら、被害者の救護及び事故の報告等法定の義務を尽くすことなく逃走したという悪質・重大な轢逃げ事犯であり、いわゆる盲運転にも等しい無謀な操縦により、妻として母として家庭の中心であつた被害者の貴重な一命を一瞬のうちに失わせた被告人の刑責のきわめて重大であることは、多言を要しないところである。たしかに、所論も指摘するとおり、本件においては、被害者の側にも、前方にガードレールがある暗い車道を斜めに小走りに横断しようとした点で若干の落度があることを否定し難いが、それにしても、本件のような狭あいな道路を、夜間、時速七〇キロメートルもの高速で道路中央線をまたいでばく進してくる自動車があるということは、通常人にとつて予想外のことというべきであるから(なお、小吹彰子の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、中辻竹夫の検察官に対する供述調書各参照)、この点を捉えて被害者を強く責めるのは酷である。そのうえ、被告人については、大幅な速度違反等により運転免許停止の行政処分を受けたことが二回あること、自動車とパーソナル無線にこつて、日頃まじめに稼働せず、本件事故を惹起したのちにおいてすら、夜遊びをくり返して、一向に生活態度を改めなかつたことなどのはなはだ芳しからざる情状の存することも、記録上明らかなところであつて、これらの諸点にも照らすと、さきに指摘した被害者側の落度の点のほか、被告人がいまだ何らの前科を有しない二一歳の若者で、本件当時は成年にも達していなかつたこと、被告人が、事故の三〇分後に、実父に伴われて警察へ自首していること、被害者の遺族との間では、保険会社を通じての交渉により、すでに示談が成立していること、被告人も、現在においては相当程度反省の情を示していること等所論指摘の情状を十分斟酌しても、本件が所論のように刑の執行猶予を相当とすべき事案であるとは考えられず、救護等措置義務違反の罪につき自首減軽を施して法律上禁錮刑の宣告を可能にしたうえ、被告人を禁錮一年の実刑に処した原判決の量刑が、重きに失して不当であるとは認められない。論旨は、理由がない。
よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松井薫 裁判官 村上保之助 裁判官 木谷明)